|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 花 : [はな] 【名詞】 1. flower 2. petal ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation
『ミルテの花』(ミルテのはな、)作品395は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲したワルツ。『ミルテの花ざかり』とも。秀作のひとつとして挙げられるが〔加藤(2003) p.209〕、これまでにウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場はない。 == 概要 == ヨハン・シュトラウス2世が1881年に作曲したワルツで、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子ルドルフとベルギー王女ステファニーの結婚式を祝う作品である〔。 当時ヨハン2世はオペレッタの作曲家として精力的に活動しており、独立したワルツ作品はほとんど作曲していなかった。当楽曲は、その時期にヨハン2世がオペレッタなどとは関係なしに作曲した数少ない作品のひとつである。依頼を受けたヨハン2世は『祝典行進曲』と作家アウグスト・ゾイフェルトの作詞によるワルツ『ミルテの花』を、弟エドゥアルト・シュトラウスはワルツ『ヴェールと冠』を作曲した。 1881年5月8日のウィーン・プラター国民祭において、ヨハン2世の指揮のもとで男声合唱団とオーケストラの曲が聴衆に披露された。献呈の言葉は「オーストリア帝国およびハンガリー王国の殿下、大公ルドルフと大公妃ステファニーに捧げる」だった。歌詞の最後の部分は、「貴女の新しい祖国が/貴女を今日、身も心も歓迎している/ベルギー王の子/北欧のバラ/貴女を南の国が、愛をこめて歓迎している」であった。当日は約2000人の聴衆が集まったとされ、皇太子夫妻はあまりの人出の多さのせいで演奏会場まで辿り着くことができなかった。そのため、弟エドゥアルトが改めて『ミルテの花』のオーケストラ版と『ヴェールと冠』を夫妻に披露したという。 1889年1月30日にルドルフ皇太子が「マイヤーリンク事件」で情死した後、このワルツ自体は全く演奏されなくなった。しかし、ヨハン2世の死後に完成されたオペレッタ『ウィーン気質』の中で、伯爵夫人登場の音楽の第2主題のメロディーとして使われており、この『ミルテの花』のメロディーは現在もウィーンから失われることなく生き続けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミルテの花 (ヨハン・シュトラウス2世)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|